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人と自然が共生する里山を再生し、子どもたちに残したい。

奈良県南部に位置する十津川村。

山深く、村の面積の約90%以上を山林が占め、その山々を清流が流れる…。今なお数多くの豊かな自然が残る場所です。

かつては、「秘境」と呼ばれたこの村ですが、近年は道路の整備が進み、大阪から約2時間半で行ける場所となりました。

 

道路の整備が進む以前、人々は”山道”を使い、里と里を行き来していました。その山道沿いには、集落が形成され、人々の営みがありました。また、村の主要産業の一つである林業においても、この山道は欠かせないものであり、多くの人々が仕事のために踏み続けた道でもあります。

 

しかし、高度経済成長と共に、街に暮らす人々の生活、そして地方に暮らす人々の生活が大きく変化すると共に、道路の整備も急速に進み、山道を使う人はしだいに減っていきました。今現在は、集落の周辺に山道が残っている程度で、集落と集落を結んでいた山道の多くは、土砂崩れなどにより荒廃の一途をたどっています。

 

この山道の荒廃は、どのような問題を招いているのでしょうか。

一概には言えませんが、山道の荒廃は、山全体の荒廃を意味していると考えています。人が入らなくなり、人との関わりがうすくなった山々は、木々への管理が行き届いておらず、林床は暗くなり、それにより多様性を失った土壌は土砂崩れを引き起こす大きな要因となっています。人との関りが薄くなればなるほど、その山の価値も薄くなり、山を管理するということが人々の意識から離れていっているように感じています。

 

とはいえ、自然にとっては、人々が関わらない方が良いのではないか?という疑問を持つ方もおられるかもしれません。原始林のような自然であれば、その考えは正しいと思います。

しかし、一度人間が手を加えた山(自然)、さらには、十津川の多くの山のように、人工林(スギ、ヒノキなど)が密に植えられた山は、人間の手によって管理されなければ健全な状態を保つことはできません。人間は、持続的に関わっていく必要があるのです。

 

人工林の多さを考えると、林業をもっと盛んにしていくことにより、山に活気を…という考えももちろんあります。外国の木を伐採し、エネルギーやコストを使って輸入するよりも、日本にある木を、もっと住宅や様々な用途に使っていくことで、国産材の需要を高めていきたい。しかし、コスト面やその用途によっては、国産材が適さないとされることも多く、そこには消費者と供給者、双方における工夫が必要なのだろうと感じています。

 

山を元気にできないかという思いで、十津川の山々を歩けば歩くほど、豊かな自然や歴史に触れ、次第に「林業に加えて、山と共に生きる方法がある」と強く思うようになりました。

「人を山に呼ぼう。そのために、まずは人が入れるように、先人の知恵により、より良き場所に築かれた古道を整備しよう!」と考えたのです。

 

こどもはもちろん、大人の遊び場としても、山がもっと身近になるように、アクセスを整える。

歩く、走る、探検する、観察する、リラックスする…。その方法は、たくさんあります。

古道が整備され、山自体の価値が高まれば、山の管理状態が改善に繋がるのではないでしょうか。そしてそれは、木々の健全な成長を促すことになり、それはCO2削減にも大きく寄与します。また、山の保水力が増し、土砂崩れや河川の氾濫防止にも繋がります。さらには、多くの人を悩ませる花粉症の対策になります。

そして大切なのは、過疎化が進み、学校が統合されていくことにより、地域で遊ぶことが少なくなっている地方の子どもたち、一方で都市化が進み、自然と触れ合う機会が少なくなっている子どもたちにとって、「自然と遊べる場所」の整備へと繋げることができることです。

 

さとさとでは、事業における売り上げの一部を、この古道の整備活動に寄付しています。また、教材の多くは、このような山々からの恵みからできています。

 

子どもたちに残したい、語りたい、そして共に歩む道を選んでほしいと願いながら、活動に取り組んでいます。